- 本日の映画
- 『騙し絵の牙』あらすじ(映画)
- これ映画の製作陣は原作読んだんすか?
- 原作『騙し絵の牙』あらすじ
- 小説の速水と映画の速水は全くの別人
- 話の根幹が「出版界のリアル」から「騙し合い合戦」にずれている
- 足された要素は女性客確保とどんでん返し要素のためであることが明け透けすぎる
- まとめ
本日の映画
今回は、俳優・大泉洋さんに当て書きされた小説『騙し絵の牙』を原作にした同名映画、『騙し絵の牙』についてお話ししていきます。
『騙し絵の牙』あらすじ(映画)
大手出版社、薫風社のカリスマ社長が病に倒れ、薫風社内は社長の息子(中村倫也)を操る宮藤常務(佐野史郎)と大胆な変革をもたらす東松専務(佐藤浩市)の派閥に分かれ、社内政治が大きく揺れていた。
そんな中、カルチャー雑誌『トリニティ』の編集長を新たに務める他社から移ってきた速水(大泉洋)はこの雑誌を大きく改革しようと目論んでいた。何かこの雑誌に新たな風を吹き込もう、そんなふうに思っていた速水は大ベテランベストセラー作家、二階堂(國村隼)の連載を『トリニティ』で取ろうと画策する。
さらに速水は薫風社の顔と言うべき『小説薫風』から左遷された新人編集者、高野(松岡茉優)を『トリニティ』に引き入れる。速水の狙いは高野が見つけた新人作家、矢代聖(宮沢氷魚)だった……。
速水の今までの『トリニティ』を無視し、まるで破壊するような行動や、『小説薫風』から作家や部下を横取りするような行為により薫風社内の人間は振り回され始める。果たして速水の本当の狙いとはなんなのか……。
詳しくはこちらをご覧ください。
これ映画の製作陣は原作読んだんすか?
この小説は大泉洋が雑誌『ダヴィンチ』の編集者に再三「自分が実写化できる小説はないか」と聞き、耳にタコができた編集者が原作を執筆することになる塩田武士氏に企画を持ち込んで、そして大泉洋に当て書きすることでできた作品なんですね*1。しかもこの塩田さんは今作を書き上げるために4年の月日をかけて出版社とモデルとなった大泉洋にもかなり話し合いを行い*2、そして主人公速水にちょうどいいバランスで大泉洋らしさを足していったというもう途方もない努力の結晶のような作品なんですよ。
また、そもそも大泉洋が実写化したいと言って始まった企画なので、当初から映像化の話も出ていたんです。つまり、これは原作者も編集もそして当て書きされたモデルも映像化を視野に入れて作られた作品なわけです。
そんな小説がついに映画化されてできたのが本作なのですが、なんとこの話が全く小説と異なるのです。もう映画に残された小説の要素は大泉洋と、薫風社という会社の名前、そしてキャラクターの名前、小説薫風やトリニティ、などの作品の名前、そして社内政治という要素、最後にどんでん返しというおおまかな本当に“要素“だけで、小説とは全く話が異なるのです。
ではそんなにいうなら小説はどんな話なのか、ということで小説のあらすじを。
原作『騙し絵の牙』あらすじ
速水は中途入社ながらも長く薫風社にキャリアを置き、かつては週刊記者、そして自らがずっと望んできた文芸畑でも編集を務めた根っからの編集者である。現在はカルチャー雑誌『トリニティ』の編集長を行なっているが、スマートフォンで誰もがすぐにインターネットにアクセスし、好きな情報を得る時代の今、雑誌の売れ行きは低迷しており、『トリニティ』も例外ではなかった。
ある日、上司である相沢に呼び出された速水は『トリニティ』を黒字化しないとすぐに廃刊にする、と脅される。自分の雑誌をどうしてもつぶしたくない速水は黒字化すべく、あらゆる企画、方法のために日夜奔走する。
そんな中、突然薫風社の顔とも言える文芸誌『小説薫風』が廃刊になることを知る。かつて文芸畑にいた彼は、そんなことをすれば今まで薫風が築き上げてきた作家との信頼関係を失ってしまうと上に訴えたが、彼の説得も虚しく、会社は『小説薫風』の廃刊を覆さなかった。「ここで『トリニティ』を守らなければ作家が作品を披露する場がさらに失われてしまう」とさらなるプレッシャーを背負った速水だったが、そんな速水に追い打ちをかけるように相沢は速水を薫風社内の政治に巻き込み始め……。
小説の速水と映画の速水は全くの別人
上記の小説のあらすじを読んでいただければわかると思うのですが、速水は元々この会社に長く支えてきた人で、さらに文芸を愛している、そういうキャラクターです。
しかし、映画の速水は別会社から突然やってきたいわば外部の人間で、『トリニティ』を存続させるためだったらなんだってやってやる、そのために小説だって使ってやる、というようなキャラクターになっています。
小説は主にこの速水の小説愛、文芸愛が軸となり、速水はかなり人間臭さのある人間として描かれ、「確かにこれは大泉洋で見てみたい!」と思わせるようなキャラクターであり、話になっています。しかし、一方で映画の速水は観客からしても何を考えているのかよくわからず、大泉洋があまり大泉洋らしくないものであり、小説の速水の要素は松岡茉優の演じる高野恵に移されています。
私は映画を見終わった時に「こんなのこの企画の根本が崩されているじゃないか!」とかなり呆然としたというか、私がこの小説を書いた立場だったら「なんのためにあの小説を書いたのだろう……」と肩を落としてしまうだろうなと。
確かに映画の速水もいつもの大泉洋を期待して観てみると腹の中が読めない飄々とした人物で、期待をいい意味で裏切られる良いキャラクターではあったのですが、原作で大泉洋を思い浮かべながら速水のこの物語を思い描いていた人間としては、「これは名前と設定を借りたパロディ、もしくは贋作だな」という気持ちが強くとてもがっかりしました。
速水の役割が高野恵になって描かれているのもなんだかちょっと本質とずれていると思います。社内政治に巻き込まれながら、自分の社内ノルマにも追われ、そして部下のフォローもし、社外の人間との付き合いもうまくやり、担当作家のご機嫌を取り、そして家庭のことも慮る、そんな雁字搦めになってしまった男の行く末がこの小説の面白いところだと思うのですが、今回の映画版の話だと「可愛い猫だと思ってたらいきなり後ろから噛みつかれた」みたいな話になっていて、そんな話じゃなかっただろ、と。
話の根幹が「出版界のリアル」から「騙し合い合戦」にずれている
元々原作小説は原作者である塩田氏が年月をかけて出版社を取材して完成したもので、その内容も現在厳しい立場に立たされている出版界の存続危機についてにフォーカスが当てられたもので、本好きとしてはかなり面白い題材でした。取材が徹底していることが内容からびしびし伝わってくる一方でそれを活かしてエンタメとしてもとても完成度の高い作品になっていて、私個人としては最近読んだ作品の中でも満足度の高い一冊でした。
しかし、映画版では出版界のリアルはかなり大幅に削減されており、もっと映画として観やすくてテンポの良い、社内の騙し合い合戦へと軸が移されていました。確かに原作もある意味騙し合い合戦ではあるのですが、それはそれぞれがそれぞれの立場としての生き残りを賭けたもので、決して別の雑誌や部署に迷惑をかけてやろうというようなものではありませんでした。映画版では、エンタメとしてわかりやすくするためだと思うのですが、『小説薫風』(=常務一派)VS『トリニティ』(専務一派)という描かれ方がされています。確かに2時間の映画でわかりやすく、そしてより映画らしいエンタメとして描くならこれが向いているとは思うのですが、何度もいうようにそれでは原作が映像化を視野に入れて書かれた意味がないと思うんです。しかももっというと、原作の話の方が複雑であるからこそ面白いです。
映画として面白くするためにある程度の要素を削るのであれば理解できますが、このようにまるっきり話を変えてしまい、しかもその内容が原作よりも劣ってしまうのはどうなんだろうなと思います。原作の映像化を楽しみにしていた読者に対する裏切りでもあるし、原作小説へのリスペクトもないし、さらに映画を観て原作を読んだ人に混乱を与えるので、得をするのは映画の制作会社と配給会社だけでは……。小説の内容じゃないですけど、もっと観客の立場に寄り添って制作してほしかったです。原作は複雑すぎるから映画を観にくるターゲット層には伝わらないだろうと思われているのであれば、勝手に客を馬鹿にすんなよって感じです。
足された要素は女性客確保とどんでん返し要素のためであることが明け透けすぎる
また、映画では排除されている登場人物の代わりに追加されている(もしくは重要な役どころに変更されている)登場人物がかなり存在します。宮沢氷魚演じる矢代聖や、中村倫也演じる伊庭惟高、斎藤工演じる郡司一などは映画でかなり重要な存在になっていますが、小説ではこれらの登場人物は出てきません。イケメン俳優を使って映画の興行収入を上げたかったのだろうなというのが丸わかりすぎててほんとに客を舐めてんじゃねえぞという気持ちではらわたが煮え繰り返りそうでしたが、各役者陣は本当にいい演技をしていたのでもったいねえなという気持ちでした。宮沢氷魚さんなんかは、原作に登場する新人作家の役をやらせれば良かったのに……という気持ちです。あんな実は〇〇でした〜!なんていう現実味もなくふざけた展開に使うのはかなり残念です。
他にも「KIBA」というプロジェクトが出てきますが、原作にはそんなプロジェクトは出てこないので、ちょっと「KIBA」とか言って無理やりタイトル回収してこようとするのもダサすぎて残念でした。原作のタイトル回収はかなり秀逸なので、ほんとにこれに関しては残念と失望という気持ちしかないです。何度も思ってるけど塩田先生はこの映画でOK出したんですか?私が塩田先生なら裁判起こすレベルで嫌なんですけど……。
まとめ
映画として面白いのにこんなに腹が立つこともあるという不思議な経験をさせてくれた一作でした。先に原作を読んでいなければこんなに腹が立つこともなかったのかなと思いますが、宮沢氷魚ファンが原作読んで「矢代聖いないじゃん!!!!」となること必至なので、やっぱり原作読んでなくても後からキレるだろうなと思うので、やっぱり結局は腹が立っていたと思います。
原作の内容をほぼ変えることが原作既読の読者に対して映画の製作陣が用意した「サプライズ」や「どんでん返し」だという人がいるのであれば、私はその人たちとは美味い酒が飲めそうもないです。
個人的には最終的に原作の根幹であった速水の「文芸の発表の場を守る」というのが高野の「Amazonに対抗できる場を作る」に変えられてしまったのが一番がっかりでした……。なんというか、あまりにも資本主義的な話に変えられていて、結局文芸のことなんて映画屋はどうだっていいんだなぁ……という印象を受けて、感じ悪かったです。散々小説原作映画を作っておいてこんな仕打ちなので、この映画会社と監督はほんとに小説なんかどうだっていいんだなと思いました。本当に残念です。
私がお勧めしたい小説原作の映画作品はこちらです!
Twitterでも映画感想を書いてます。
『騙し絵の牙』
— Amy a.k.a. 下呂あやめ (@slhukss1) January 6, 2023
これ原作ファンからしたら原作レイプ以外の何物でもないのでは……と思うほどの原作がほとんど「参考文献」くらいにしかなってなくてびっくりでした。映画としてはかなり面白い作品になってると思うのですが、小説があて書きなのにその要素をバッサリ切ってるのはどうなんでしょうか。 pic.twitter.com/f2wmGDx018