本日のテーマ
今回はNetflixオリジナル『ロマンティックじゃない?』と『アイ・フィール・プリティ』を比較していきます。
あらすじ・予告
『ロマンティックじゃない?』
source:https://www.amazon.com/Romantic-Original-Motion-Picture-Soundtrack/dp/B07NN6DTC8
幼いころから母から「お前の見た目じゃラブコメ映画のような恋愛なんかとは縁がない」と言ってきかされていたナタリーはその言葉を信じて生きてきた。
そんなある日ナタリーはひょんなことから強く頭を打ってしまい、病院へ運ばれる。気を失っていたナタリーだったが、無事退院することとなるが、何かが「おかしい」と思い始める。それは、なぜか自分を取り巻く環境がかつての「ラブコメ映画」のような状況に変化していたからだった…。
奇妙なこの世界から抜け出すためには運命の相手を見つけてエンディングを迎える必要があると考えたナタリーは必死に恋愛に取り組んでいくのだったが…。
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『アイ・フィール・プリティ』
source:https://filmdaily.co/obsessions/lessons-we-shouldnt-learn-i-feel-pretty/
リネイはいつか自分も今のような太っていて醜い自分ではなく、細くて美しいモデルのような女性になりたいと願う日々を過ごしていた。
ある日、ダイエットのために訪れたサイクリングジムで彼女は転倒してしまい、強く頭を打ってしまうのだった。
気を失っていたリネイだったが、鏡で起き上がり自分の姿を見て仰天する。
「え、何これ…、何が起こっているの…?!」
なんと頭を強く打った影響で、リネイは鏡に映った自分が理想の女性に見えるようになってしまったのだった。
そこから自信を異常なまでにつけたリネイは今までの彼女からは考えられないような行動をとり始めて…。
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同じ題材でありながら決定的に違う2作品
あらすじを読んでいただければお分かりかと思いますが、この二作品ちょっと仕組んだんじゃないのかと思うくらいストーリーラインが似通っています。主人公がふくよかで自分のことを「女性として魅力がない」と考えている。ある日頭を打つと彼女を取り巻く環境が一変する。
今まで映画や小説などの物語として描かれてくるのはやせ形のいわゆる「美しい」体型(「モデル体型」)をした女性たちが圧倒的多数でしたし、恋愛というジャンルではほぼ100%と言ってもよいほどでした。
しかし、昨今では「ボディ・ポジティブ」と言ってどんな体型の人でも自分に自信を持ちましょう、ということが叫ばれるようになりました。
source:https://girlsecret.hk/beauty/渡邊直美「壓胸」驚艷美妝界,shu-uemura-x-naomi-watanabe-聯名第二彈/
渡辺直美さんはその代表のような存在ですね。自分の体型を全く恥とも思わないどころか、肯定している、そしてそれが自分の魅力だと思っている。その自信がさらに彼女を美しく、そして魅力的にしている要因だと思います。
全然関係ないですけど、VOGUEの渡辺直美さんの動画何回見ても驚いてしまいますね。あのファンデとシャドウほんとに欲しい。
そんな「ボディ・ポジティブ」の流れを受けて生まれたのが今回ご紹介している『ロマンティックじゃない?』と『アイ・フィール・プリティ』であると考えています。前者は2019年、後者は2018年の作品であるので同年代の同テーマの作品なので、似通るのは必然かと思います。
ですが、この2作品には決定的な違いがあります。それは、作り手の「太っている女性に対しての姿勢」です。
太っている女性が自分を否定しない時代
source:https://edition.cnn.com/style/article/plus-size-models-fashion-refinery-29/index.html
両者に決定的な違いをもたらしているのは「太っている女性に対する姿勢」と言いましたが、もっと端的に言えば、「作り手が太っている女性を可哀想と思っているかどうか」ということです。
タイムマシーン3号のネタで、「小学生の時にいじめられるのはデブ、チビ、メガネだ」という話が出てきますが、今まで太っているということは蔑まれる対象でした。ちなみにタイムマシーン3号はデブをネタにしていますが、彼もまた太っていることを誇りに思っているタイプの人で、すがすがしいまでにデブって感じなので私はすきです。
ですが、昨今では先ほども紹介した通り「ボディ・ポジティブ」という考えが現れ、ふくよかな体系のモデル(=プラスサイズモデル)が台頭してくる時代となりました。この流れを大きく呼び寄せたのはこの人ではないでしょうか。
「あなたはあなたのままで十分美しい」ということをうたったメーガン・トレイナーの「All About That Bass」は世界的に大ヒットしました。ここから太っているからと言って自分のことを醜いだなんて思う必要はないのだ、という考えが広まっていったように思います。
そのように太っている女性たちが自分のことを否定しない時代が求められるようになりましたが、これは「太っている女性たち」以外の人々も彼女たちのことを否定しない時代が求められているということを意味しました。これを本当の意味で作り手が意識できているかどうかがこの2作品の印象を大きく変えたと言わざるをえません。
『アイ・フィール・プリティ』の描く太っている女性像
『アイ・フィール・プリティ』では、突然自分がモデル体型になった!と主人公が大喜びをして、それまでできなかったことにどんどん挑んでいくというストーリーになっています。このように聞くととても前向きなストーリーに聞こえますが、いったん本編を観てみるとこれが全く前向きに見えません。なぜか、それは主人公自身(そしてそれは作り手を意味する)で持つ「女性への偏見・差別」を浮き彫りにさせているからです。
例えば主人公が自分をモデル体型だと勘違いするようになってから着ている服からもそれがうかがえます。
source:http://aftercredits.com/2018/04/i-feel-pretty-2018/
(中央のオレンジ色のTシャツを着ているのが主人公)
これは彼女が頭を打つ前の服装です。オレンジ色のTシャツで、胸元や足元に露出はありません。また、彼女の友人たちも同様に全く露出していないことがうかがえます。
そしてこちらが彼女が自分をモデル体型になったと思った後の服装。全身ほぼピンクで、胸元はゆるく、ミニスカートを履いて大胆に脚を露出させています。(女性がかわいくなりたいと思ったらすぐにピンクを着るというステレオタイプな描き方にぞっとしますね。これは太っている主人公を面白おかしく、簡単に言えばばかにするための装置になっているのだと考えますが…。)ここから「太っている女性は露出が許されていないが、美しくなれば露出ができる」という常識がこの映画の世界ではあるように思えます。
また、ここから彼女は自分が美しくなったことですべての男性が自分に関心があると思い込むようになります。「美しくなければ男性から興味を惹かれることはあまりない」というように主人公(=作り手)が考えているのがわかります。
そしてここで重要なのは「主人公(=太っている女性の代表として描かれる存在)がモデル体型の女性にあこがれている」ということです。この映画は全てこの設定の上に成り立っています。
この映画が描く「太っている女性像」は現在の潮流である「ボディ・ポジティブ」とは対極にあるように思えます。太っている女性はみんな細い女性に強いあこがれを抱いており、みんながみんな細くなりたいと思っている。なぜなら彼女たちはモテたいから、太っていることで不自由だから、ああ可哀想に太っている女性たち!そんなことないよ、あなたたちは美しいのだからそれをわからせて「あげよう」…。そんなようなことを作り手が考えているのが手に取ってわかるようでした。そう、この作り手たちはどこまでも太っている女性を下に見ているんですよね。
しかもこれ恐ろしいのが、ネタバレになってしまうんですが、太っている主人公を肯定しておいて最後またサイクリングジムに通っている主人公の姿が映るんですよね。つまり、太っている女性は細くなりたいという願望を持っているという姿勢は崩さないんですよ。太っている女性を肯定しておいて。「太っている自分を肯定しつつも?でもでも本当は?Say?痩せた?(いー)」みたいな作り手の考えが見えます。(『20世紀少年』をコテンパに言ってた宇多丸さんの手法を借りました。)
『ロマンティックじゃない?』の描く太っている女性像
一方で『ロマンティックじゃない?』では主人公がひょんなことから「自分が主人公であるラブコメ映画の世界」に迷い込むことになりますが、まず初めに彼女は「ラブコメ映画が嫌い」です。この点から、この映画の世界では、女性は恋愛をしたいと思ってもいいし、思わなくてもいいということがわかります。
また、彼女は自分がモテる世界に行っても自分のことを魅力的だとは思っていませんが、ラブコメ映画の主人公になってしまったのでそれっぽい服装を着ていきます。
これがその服の一つなんですが、この服のいいところは、彼女の良さを活かしたかわいらしい服装であるということです。露出などではなく、彼女のダイナミックな体型を魅力としてとらえ、強調しつつも、不摂生さを全くなく、むしろ清潔感を出しています。
source:http://seattlerefined.com/lifestyle/review-isnt-it-romantic-hinges-on-rebel-wilsons-charisma
この服装も、彼女のバストとウエストの対比で美しいボディラインを見せることでとてもかわいらしく彼女の魅力を活かしていると思います。
そしてどちらも安易にピンクという色に手を出したり、露出度を増やすというような方法ではなく、どうしたら彼女を魅力的に魅せられるのかという正攻法を踏んでいるのが素晴らしいですね。
このように主人公をとても魅力的に見せ、誰の目からも明らかに「彼女はそのままでとっても美しい」という印象を与えた上に、主人公自身も別に細くなりたいとかそういう願望はないし、誰かと恋愛をしなきゃいけないとも思っていない、私は私でいい、と思っているというのがこの映画のとてもいいところですね。そしてこの主人公の「私は私でいい」というのを諦めなどのマイナスの感情から「私は私でいいんだ!」という前向きなプラスの感情へもっていくというのが非常にうまいです。彼女に自己肯定をどんどん促して、誰に認められるとかより前に、自分は自分を好きなるべきなんだ!という一番大事なことを教えてくれる映画です。
この流れは、「ボディ・ポジティブ」に通じているように思います。太っているからできないこと、痩せていないとできないことなどはこの映画では出てきません。この映画がしていることは、女性がいつの間にか世間から与えられてしまった呪いを少しずつ解いているということだと思います。
まとめ
source:http://www.spoon-tamago.com/2018/01/11/yuni-yoshida-naomi-watanabe/
結論を申し上げると、『アイ・フィール・プリティ』は太っている女性を可哀想な存在として認めてあげるといった上から目線の映画であるのと対照的に、『ロマンティックじゃない?』は自分を否定し続けてきた太っている女性たちの自己肯定を促すような映画でした。テーマやストーリーラインが非常に似通いつつもそこには決定的な違いがあり、それは「本当の意味で太っている女性を美しいと思っているかどうか」ということでしょう。
正直に言って、『アイ・フィール・プリティ』は観ていてとってもしんどかったです。主人公が今までにできなかったことをすればするほど体型のせいでこの人は今までいろいろな我慢をさせられてきたんだな、とか、この作り手は本当にデブをばかにしたいんだな、とか、太っていることってそんなに恥ずかしいことなのかな、とか…。
それと同時に『アイ・フィール・プリティ』は女性のことを全般的にばかにしすぎなんですよね。太っているとか関係なく、女ってバカばっかりなんだよね、というような主張が強すぎてちょっと引きました。観ていて本当につらかったです。
一方で『ロマンティックじゃない?』は主人公こそ太っている女性でしたが、彼女は太っている女性を代表するというよりも、自分に自信がない人々を代表とした主人公として描かれており、そんな人たちにもっと自分を好きになろう!と前向きに強いメッセージを与えてくれる映画だったのでとてもすきでした。また、今まで持ってたステレオタイプってホントバカバカしくって笑っちゃうよね、という過去への決別というと大きく出すぎですが、未来を感じさせる映画だったので本当に素晴らしかったです。
ところで11月1日からNetflixの「クィア・アイ」シリーズで日本編の配信が始まりますね!今回少し取り上げた渡辺直美さんも出演されるとのことなので楽しみです。「クィア・アイ」も自分を肯定して生きよう!というメッセージを含んでいる、「自分にかけた呪い」を解いてくれる作品なのでだいすきです。みなさんもいつの間にか自分にかけた呪いを解くためにぜひご覧になってみてください。