きねまないと

最近映画が好きになった20代が素人目線で好き勝手に映画の感想を綴るブログ。

拝啓、父上様。私はあなたに失望し続けています、そしてこれからも。

本日の話

今回は私が思春期の頃から拗らせている両親、特に父親への話をします。自分の心の整理のために。(『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の話はあまりありません)

source: 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』新ビジュアルポスターが公開。青い海の砂浜に14人のキャラクターが集合! | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

 

私が『新世紀ヱヴァンゲリヲン』を見始めたきっかけは父親だった。ちょうど主人公のシンジと同い年の14歳の頃だったと思う。両親は私が小学校に入学する前には離婚していて(私が両親が離婚していることに気がついた時と実際に離婚していた頃にはギャップがあるので、未だに両親がいつ離婚していたのかがわからない)、私は成長とともに共に住む母親よりも、年に数回しか会わない父親のことを知りたいと思うようになっていた。父親がオタクであることにはいつの間にか気がついていたので(祖父母の家にガンプラが数え切れないほど置いてあるからというのと、父親の家にもプラモデルやアニメのヒロインのフィギュアが飾ってあったからだと思う)、私は父親の好きなアニメを通して父親を理解しようと思った。

エヴァ』はそんな私の動機を抜きにしてもとても面白かった。でも見れば見るほど父親のことがよくわからなくなった気がする。当時も思っていたが、今考えてみても父親は変な人だった。小学生の時、運動会を見に来てくれたが、同級生には「銀行強盗みたいに恐ろしい人がいる」とか言われた(今思うと多分『マトリックス』に憧れすぎた父親が黒いロングコートに黒い服を合わせていたが、彼は残念ながらキアヌ・リーブスではなかったのでただの怪しいおじさんになってしまったんだろう)。そんな外見から怪しさが漂う父親は、どうやら中身も変わっているようだと『エヴァ』は教えてくれた。

そんな変な父親が私は高校1年生まで大好きだった。それは、多分一緒に住んでいる母親は年に350日くらい不機嫌で、そして私が小学5年生になった頃くらいから家に知らない男を私の了承もなく住まわせるようになったので(まさか私が11歳から21歳くらいまでの間に私が知る限りでも3回男が変わるとは思わなかった)、おそらく私の中で母親への恨みまでは行かずとも不信感や不満が増大するとともに、相対評価的に一緒に住んでいない父親の評価が上がっていったことに起因すると思う。そう、私はよく知らないから父親のことが好きだったのだ。そして、そんな父親に自分のことを知って欲しかったし、父親のことを知りたくなったんだと思う。

そして高校1年生の終わりに、父親に一緒に住まないかと聞かれた。父親はすでに別の女性と結婚しており、それを機に偶々私の高校の近くに引っ越すので、徒歩通学できるのだし、一緒に住んでみるのはどうだろうかというのだった。その時ちょうど母親は(私が知る限り)離婚後3人目の彼氏を家に住まわせるようになったばかりで、私は家の中で除け者のような居心地の悪さを感じていたので、まさに渡りに船だと思い、その提案を了承した。当時の私は「これでお母さんも私のことを気にせずに彼氏と二人で過ごせるのだし、きっと喜ぶだろう」と思ってはしゃいで彼女に伝えたが、彼女は泣いた。何を言われたのか具体的に思い出せないが、私が良いと思うのであれば一緒に住んだらいい、と言われた気もする。でも、あの時のことを思い出すと、実際に彼女が言ったかはもう定かではないが、「ここまで育てたのに、聞き分けが良いような歳になってから私から娘を奪うのか、そしてお前も、私への感謝もなくそんなにあっさりと私を置いていくのか」というような言葉が頭の中に浮かぶ。私はそのように涙を流す彼女をみるのは初めてだったので、その時にようやく私はひどいことをしたのだ、と思ったし、この時に初めて母が私をそんなふうに彼女なりに愛してくれていたのだなと理解した。

高校2年生の5月くらいから、私は父親とそしてその新しい妻と一緒に暮らすことになった。徒歩通学というのはこんなに楽なのか、とか、襖じゃなくてちゃんとしたドアで仕切られた自分の部屋って快適だなとか、とにかく私はその新居を気に入った。しかしこの同居生活は半年も満たずに終わった。父親は16歳の子どもがこんなに子どもだとは考えていなかったのだ。きっかけは今思い出しても馬鹿馬鹿しいと思うが、私の携帯料金だった。その時はまだガラケーで、私はMixiを通して久々に再開した小学生の頃の友達とやたら電話をしていた。(相手がメンヘラだったので、よく電話がかかってきていて、私も彼と電話をするのが好きだったのだ。)ただ、この電話のせいで月の携帯料金が2万円を超えてしまったのだ。これより前の月には、確か3千円程度だった。私の父は自分が金持ちであることを自慢する割に、とんでもなくケチくさかったので(そして今もなおそうだろう)、私をひどく叱った。高校生の私からしたら、2万円は相当な額だったのでその時は父親が怒るのも無理はないと思ったが、今考えるとそんな金持ちなら娘の携帯料金が1ヶ月だけ2万円を超えたら静かに叱って払ってやれよと思ってしまう。当時の私には満額の2万円は払えなかったので、自分が半分を払い、もう半分の1万円を払ってくれないだろうか、と私は彼に懇願した。だが、これがよくなかったらしい。彼はより語気を荒げて私を叱った。その時に言われた「お前誰のおかげでここに住んで、誰のおかげで飯を食って、誰のおかげで生きてるんだと思う?お前なんか俺がいなければ浮浪者と同じ、ホームレスなんだよ」という言葉は今でも鮮明に思い出せる。ひどくショックだった。

母親はよく私に「あなたのお父さんはあなたが大好きなんだよ」と聞かせてくれていたので、私は小さい頃から父親が私を愛しているということを疑ったことがなかった。そして私も父親を尊敬し、愛していた。そんな人にそれまでの人生で言われたこともないような罵声を浴びせられて、私はまさに文字通り心が砕けてしまった。そして、その様子をただただ軽蔑するかのように見ている彼の妻にも失望した。父親が自分の娘にこんなひどいことを言っているのに(しかもたかだか携帯料金で)、この人は私をそんな目で見るのだ。大人って本当に信じられないな……、と思ったことを今でもよく覚えている。今までは母親と割と対等に暮らしていたが、ここでは私は一生味方がおらず、この暴君を王にしたとんでもない世界で生きることになるのだと悟り、私は次の日朝早く起きて、自分一人で持てるだけの荷物を持って高校に向かった。家出したのだ。そしてその日の夕方に母親に電話をした。「お父さんの家を出た。本当に申し訳ないのだけれど、私が寝られる場所がまだあるのであれば、私を泊めてくれませんか」その時の私は本当に大人を信じられなくなっていて、母親にも同様に拒否されたらどうしたらいいのだろうと思っていたが、母親は私が泣いていることから何かを悟ったのか、「もちろんいいよ、遠慮しないで帰っておいで」と了承してくれたのだった。この時の言葉は今思い出しても温かいし、とてもとてもありがたい。この言葉がなかったら、もしかしたら今こうやって生きていなかったかもしれない。

友人にも本当に恵まれたと思う。今でも仲良くしてくれている友人に、事のあらましを話したところ、彼女は本当に親身に話を聞いてくれて、共感してくれた。家出をした日、私は持てる限りの荷物を運び出したが、当然一人だったので全ての荷物を運ぶことはできず、必要なものもまだ父親の家にあったので、後日取りに行かねばならなかったが、彼女はその際にも一緒に来てくれた。彼女がいなかったらあんな怖いところに一人ではいけなかっただろう。その時に父親の妻が、私に、人間というのはこんなに冷たい声で、そしてそんな怖い眼差しをできるのかと思うほどの表情で、鍵を返せと言ってきたのだが、その友人が「あんなに怖い人見たことない。一緒に来てよかった」と言ってくれたのも、私にとっては今もとてもとても大切な財産だ。

それからしばらくして、私は大学生になって、社会人になった。父親に会うことはなかった。それでも父親が怖かった。いつか突然現れて、殺されるんじゃないかと思った。「俺の子供のくせに言うことを聞けないなんて」「俺の子供のくせにこんな半端者で」「俺の子供のくせにこんなに不細工で」そんな理由で私を殺しに来るだろうと思った。だから私はイギリスに越したのだ。早く日本を出たかった。父親がすぐには追ってこれないところに、父親と万が一にもすれ違わないところに住みたかったのだ。また、私は母親とも一緒に住みたくなかった。ちょうど大学2年生くらいから、彼女の恋人と私が喧嘩をすることが増えたのだ。その度に母親は私ではなく、恋人の味方をした。私は「どうして私が家族なのに私が尊重されないのだ」とその度にひどく腹をたて、世界で私だけが誰にも愛されない人なような気がした。だったら誰も私のことを知らないイギリスに逃げたかったのだ。そうすれば、誰も私を知らないのだから、私が愛されなくても気にならないと思ったのだ。移住のおかげで父親について考えることが格段に減ったし、慢性的に感じていた心のザワザワは消えた。ただ、代償として私が何より大切にしていた友人たちに簡単に会えなくなった。それは今でも腹立たしい。

家出騒動から10年以上が経って、父親を知るために見始めた『エヴァ』の完結編、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開された。Amazon Prime Videoで配信がされていたので、家で視聴したが、先日イギリスでの劇場公開が始まったので観に行ってきた。なんだかすごく喰らってしまった。シンジが自身の父親である碇ゲンドウと向き合い、そしてその後ゲンドウがようやくシンジの存在とは何かに気づくシーンで、ああなるほどと思ったのだ。私の父親は私のことを自分の所有物か何かだと思っていて、私が別の人物であることに今でも気がついていないのだと。シンジは偉い。あんな碌でもない父親との対話を諦めず、そして自分をあんなに信じられて、最後の最後でシンジは私を全速力で置いていった。私には無理だ。そんな怖いことはできない。そして自分の貴重な精神リソースと時間を、あんな今でも自分が絶対に正しくて、自分はすごくてかっこいいと信じて疑わないおじさんの目を覚まさせるために使うなんてまっぴらごめんだ。シンジが逃げずに向き合って幸せを掴んだのであれば、私は生涯ずっと逃げ切って平穏にしがみついていたい。

 

終わりに

source: 若者が若者のうちに正しく怒れるように 『違国日記』ヤマシタトモコ インタビュー - あしたメディア by BIGLOBE

大学生の時に、「20歳にもなって親のことと家族のこととかで悩んでるのって幼稚だよね」と友人が言っているのを聞いてから、私は家族のことについて悩んでいるとかそういうことをあまり他人に話さないほうがいいのかもと思うようになった。でも、やっぱり考えれば考えるほど、家族と言うものは呪いなので、20歳になってもどころか、きっと親が死んで、60歳とか80歳になってもずっと家族のことで悩むのだ。

ちょうど『シン・エヴァンゲリオン 劇場版』の劇場公開が始まるくらいの時に、友人にヤマシタトモコの『違国日記』を勧めてもらって、全巻一気に買って一気に読んだが、10代の頃の私の戸惑いと、失望と、悲しみを癒してくれるような漫画で、普段漫画を読みながら泣くことなんかないのだが、最終巻はたまらず泣きながら読んでしまった。この漫画はさまざまな人が直面する問題や苦しみを描いてくれる辛くも優しい作品なのだが、本当にもっと早く出会いたかった。教えてくれた友人には感謝してもしきれない。誰かのことを許さなくてもいい、そして誰かのことを愛してもいい、あなたができる、あなたの心地よいペースで生きていけば良いのだ。そう、あと10年早く教えてもらえてたら、きっと私の人生大きく変わっていただろう。でも、私は今のこのクソッタレみたいな人生を意外にも愛しているので、『違国日記』にこのタイミングで出会えたことを後悔してはいない。

10代の私へ、あなたが経験したことは世間一般からすれば「よくあること」で、世間にはもっと不幸な人間がいると言われることもありましたね。でも、あなたが経験したその絶望や怒りや悲しみは、あなただけが味わった、誰とも比較はできない、とてもとても辛いことでした。あなたはそれにも耐え抜いて、人間関係を諦めずに、人を好きでいて、とっても立派です。そんなあなたが頑張ってくれたので、今私は私が大好きでいられます。ありがとう。どうか人と比べず、自分を労ってください。あなたはすごい人です。

どうか16歳の私が、これを読んで笑ってくれていますように。