きねまないと

最近映画が好きになった20代が素人目線で好き勝手に映画の感想を綴るブログ。

ルッキズムで人に苦しめられていた、そして人を苦しめていた私へ

 

本日の話

ルッキズムに囚われる私へ、そしてあなたへ。とりあえず現時点での私の考えについて話しをさせてください。

Source: 「なぜ痩せていて美人が最強なのか」日本で根強い"ルッキズム"の呪い たったひと言が原因で摂食障害に | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

「私、ブスって本当に世界に必要とないと思う。消えて欲しい」

Source: ブスなんて言わないで - とあるアラ子 / 第1話 ブスはここにいる | &Sofa

突然なんですが、皆さんは『ブスなんて言わないで』という漫画をご存知ですか?私はたまたまこちらの作品が自分のKindleアプリでおすすめされたことで知ったのですが、思わず表紙買いしてしまいました。というのは、ルッキズムについて描く漫画において、こんな真っ向からブスを描いてくれる漫画があるのか!と表紙の段階でとっても感動してしまったからなんですね。

私は世間から見てどうかはわかりませんが、自分のことは一般的な美とか可愛いとかの基準に照らすと魅力的な人間ではないなと思っています。小太りだし、目は腫れぼったい奥二重だし。なので、フィクションでイケてない女の子というキャラクターが出てくると本当にほぼ問答無用で味方になってしまうというか、応援してしまいたくなってしまうんですよね。

ただこの作品は「ブス」が「美人」にルッキズムとは何かを教えるとか、反撃してやるというような作品ではないんですよね。この作品はルッキズムに悩むすべての人を癒すというか、救うというか、問いかけるというか、とにかくすべての人にリーチする厳しいのに優しい作品になっていて、とても素敵です。

今作の主人公は高校時代、同級生に

私、ブスって大っ嫌い。見てるだけでイライラする。

正直、いらないと思う、世界に。

(出典:『ブスなんて言わないで』1巻より。句読点は引用者によって付加。)

と言われたことがきっかけで自らの容姿に対するコンプレックスをより一層拗らせてしまうことになった女性なのですが、正直この劇中の発言が本当に自分にめちゃくちゃ響いてしまって。読んでてとっても辛かったです。現実でそんなことを言われたことは(幸運にも)ないんですが、もちろんそういうことを言う人はどこにでもいて、そんな人に見かけるたびに私は「私ってブスなのかな」「この人の裏アカとかでブスだったって言われてるのかな」「どうしてこの人に何かをしたわけじゃないのにブスなだけでそんなに嫌われなきゃいけないんだろう」と考えを何度も巡らせたことがあったので、とてもショックを受けてしまいました。

Source: ブスなんて言わないで - とあるアラ子 / 第3話 憧れ | &Sofa

ただ、この作品ではいわゆる美人と言われる人たちに対するルッキズムについても取り上げられていて、美人なだけで勘違いやあらゆる誤解をされる、美人なだけで目立ってしまうなど美人であるがゆえに生じる問題についても描かれています。生まれてこの方美人ではない私からすると、この美人なゆえに生じる問題についてはブスなゆえに生じる問題と比べるとかなり自分とは遠く感じる問題でもあるのですが、詰まるところルッキズムなのだと言われることで自分の中でストンと納得がいったというか、以前よりもずっと理解ができたように思います。

そして私は自分の美人な友人たちのことを思い出したのです。もちろん彼女たちは美人なゆえに得られてきた特権も多いのではと思いますが、昔から通学の途中に痴漢にあっただとか、気がついたら知らない人に盗撮されてたとか、帰り道に知らない人につけられてたということを何度も口に出していました。(本当についこの間もそんな話を聞きました。)もちろんこれらは容姿の良い人に限って起こる問題ではありませんが、やっぱり現実問題、容姿が良い人が多く被害を受けている問題ではあると思います。こういうものもやはりある程度はルッキズムによって生じている問題と言っても過言ではないのではないでしょうか。(もちろんセックス依存症など性欲に問題を抱える加害者側の問題も大いにあるものですが。)なので、ルッキズムに苦しめられているのは「ブス」だけでなく、「美人」も同じなのです。

 

ルッキズムから解放されたいし、解放したい

Source: 【オタク用語 vol.10】ビジュとは?意味・使い方・例文 | 歌詞検索サイト【UtaTen】ふりがな付

なんて言ってみたものの、自分も全然ルッキズム加害者の面があります。というのは私はジャニーズやK-POP、はたまた国内外を問わず俳優に外見の良さで惹かれているためです。そう、現在進行形でゴリゴリにルッキズムに囚われているのです。そして自分の推しを褒める言葉として「ビジュ良〜〜!!」とか「顔面偏差値高!!」とか言って騒いでいるわけです。これをルッキズムとは違うというのは無理というか完全に嘘ですし、もしタレントと自分のルックスを比較して悩んでる人がいるのであれば、そういう人にとって私はひどい加害者だよなと思います。

ただ、外見の美醜で人を褒めたりすることはルッキズムを助長することにつながるのかと言ったら、そういう側面があることは否めないと思うんですが、だからといって絶対に悪とも言い切れないなと思うんです。だって美しい建造物や美術品を見たときに「綺麗」って言ってしまうことってあるじゃないですか、もしあなたの推しが外見の良さという土俵で戦っている人なら、その推しに対して「ビジュ良!」というのは間違っていないんじゃないかって私はそう思いたいです。だって外見で勝負したい人の気持ちを否定するという権利は私にも誰にもないと思うので。

** 2023年6月10日追記 **

上記のように書いたのですが、外見という土俵で戦っている人には「ビジュが良い!」と言って良いのでは?とはいうものの、外見で戦っている人に対しても、「もう少し太った方がいいんじゃない?」「痩せたら?」という権利は誰にもないと思います。

spur.hpplus.jp

まさにこの記事で歌手のアリアナ・グランデが述べているように、たとえ体調を心配するような善意からくるコメントであっても、人の体型については述べるべきではないです。それは彼女が述べているように、その人が今いる状況や、抱えている心情についてわからないうちに、体型について言及するのはとても危険です。なので、誰かの体型をコントロールするようなコメントをすることは私は支持しません。

*** 追記終わり ***

ただ、外見の良さで勝負したいと明言しているわけではない人や、外見の良さを売りにした職業ではない人を捕まえて「ブサイク」とか「ブス」、そして「美人」「顔が可愛い」など外見についての感想を述べるのは良くないだろうときっぱり言えます。例えば披露しているネタやトークに外見の良し悪しのテーマを入れているわけではないお笑い芸人の方に対して「今日も顔がいいですね」とか「今日もブサイクですね」とかいうのは違うと思います。だって彼らは自分の美醜でのしあがろうとしているわけではないので。

そしてもちろん、すれ違いざまに見た人に対しても同じことが言えます。「10点中4点!」だの「顔やばくない?」とかだの、「あなた脚長いですね」だの、そういうことを言う権利は誰にもないです。心の中で思うのは自由にしても、自分以外の人にわかる形で発言したら、その瞬間その言葉は攻撃になりかねないです、例え褒め言葉のつもりで言っていたとしても。そして貶し言葉の場合には本人に言っていなかったとしても、自分以外の誰かに伝えた時点でそれはもう立派に不快で、最悪な攻撃になっています。

私が新卒で入った会社の在駐先の会社のある部署では、次に入ってくる新卒の顔に点数をつけるのが普通のこととして行われていました。「この子は70点だなー」「うわ、俺この子きてほしい!」「この子きたらテンション下がるわー」そんな言葉が私ではない誰か(しかもおそらく私よりも若いであろう人たち)に向けて言われていました。きっと言っていた人たちは「本人がここにいないから悪口じゃない」「本人に伝わっていなければ問題がない」と思っていたのでしょうが、私は私じゃない誰かに向けられた言葉でもとってもショックでした。だってその言葉は私がかけられてもおかしくない言葉だったので。それか知らないだけで私も在駐が決まった時や、配属初日に言われていたのかもしれません。そう思うと、心がすーっと凍りました。

Source: 偽装“港区女子”のキラキラブログが大炎上「2ちゃんに貼られて人生が急変…」 | 女子SPA!

つい先日もツイッターでブスにキレ散らかしてる自称美人という方のアカウントを見ました。「デブスは努力もしないで奢られようとしててうざい」「ブスだしデブだしキーキー喚いててうざい。養豚場かと思った」「全世界のブスが嫌いです」など色々彼女が出会ったブスについての罵詈雑言が書いてあって、めちゃくちゃ辛かったです。

なんで外見で勝負してないのに勝手に外見の土俵に上げられて知らないうちに負けなきゃいけないんだろう。どうして勝手に容姿の良し悪しを誰とも知らない人に判断されなきゃいけないんだろう。「痩せろよ」とかどうして私の健康状態や精神状態を知っているわけでもないあなたに勝手に言われなきゃいけないんだろう。

そんなモヤモヤをこういうような投稿を見るたびに思います。誰にも迷惑をかけないで生きてるつもりなのに、って。でもこういう外見の良し悪しを言ってくる人は言うんですよね。「視界に入ってきて不快だったから、もう十分迷惑かけてるよ」みたいなことを。でもその人がたった一瞬迷惑だと思って言ったその一言が、私には一生付きまとう呪いになります。ずっとずっと考えます。その人が私かもしれない「ブス」に対して言った言葉をずっと考えます。そしてその言葉を見て枕を濡らす日もあります。殺してやろうと思うほど憎い日もあります。でもずっと考えます。10年も前に言われた一言をずっと引きずっています。そして日に日にどんどん「醜い」自分が嫌いになっていくんです。

こんなことを書いていますが、私自身もこういうことを言っていましたし、今も絶対言っていないかと言われると自信はないです。特に大学生の時は酷くて、「化粧もしないでロリータ服着てくる人ってなんなの」とか、「なんでそんな服で電車乗って来れるんだろ」とか思っていましたし、実際友人たちとそんな話をしていました。でもそれって、自分が人(特に私の場合には母親)に「化粧と服を合わせろ」とか「ボロボロの服を着るな」などと言って聞かされてて、それができない人はみっともないという価値観を押し付けられていたから、そう思わされていたのだとあるとき気づいたんですよね。そしてその人の背景も知らないで、勝手にその価値観(=物差し)で人を評価していたんです。そんな義務も権利もないのに。 

だから最近は上記のTwitterアカウントのようなブスを極端に嫌う人などをみても、「この人はルッキズムの加害者であると同時に私と同じ被害者なんだ」と考えるようにしています。

ルッキズムが当然にある世界に生まれて来てしまったばっかりに、こういう発言をする人は「外見をよくしなければ」「容姿が整っていなければ」というプレッシャーを強く感じて、社会に迎合されるために化粧品やスキンケアを買い揃え、服を買い、バッグを買い、ジムに通い、人によっては整形を行い……と人並みならぬ努力をしているんだと思うんです。だからこそ、努力していないでのうのうと生きてる(ように見える)その辺のブスを見てはイライラする、だから自分を正当化するためにブスを罵る……。まさに上記で引用した『明日、私は誰かのカノジョ』の彩のような心情なのかなと。

そう思うと、彼ら彼女らもまたルッキズムの被害者だよな……と思います。(だからと言って自分の物差しで魅力のない人間だと決めつけて罵詈雑言を浴びせることは正義とは思いませんが……。)自分がルッキズムに傷つけられる度に、そして自分が誰かを(または自分を)ルッキズム的価値観で評価してしまうたびに、ブスとか美人とか関係なく全ての人をルッキズムから解放できればな、と強く感じるようになりました。

** 2023年6月10日追記 **

をのひなおさんのツイートの貼り付け箇所が悪かったせいで、まるでをのひなおさんが誰かを容姿で罵倒するような方のように見えてしまっていたので、貼り付け箇所を変更いたしました。大変失礼いたしました。申し訳ございませんでした。

** 追記終わり **

「自分ウケ」の化粧やファッションの時代の生きづらさ

Source: 女の幸せに、男ウケはいらない!? | ananweb – マガジンハウス

ついこの間まで、女性誌は「男ウケするファッション」など常に男性からどう見られるかを意識した特集が行われていました(これは恋愛至上主義的な考えが今よりも強かったことも一因としてあると思います)が、最近は自分が好きなスタイルを楽しもうという意図の「自分ウケ」という言葉が支持されるようになってきました。「どんな(奇抜な)格好でも自分が楽しければいいじゃん!自分のご機嫌、自分で取ろうよ」というようなことですね。

ただ、やっぱり自分ウケって言っても結局ここまで生きてきていつの間にか刷り込まれていた美しさの基準が軸になって決まることが多いのかなって思うんですよ。例えば私は自分が小太りなことが本当にコンプレックスなんですが(もう半分食べ物中毒なんじゃないかと思ってきて、最近は栄養学とかについて真面目に勉強している)、それってどうしてかなとか。つまり、太っているより痩せている方がいいと思ってしまうのはなぜなんだろうって考えた時に、やっぱりそれって今までそういうふうに刷り込まれてきたからだよなと行き着くんですよ。フェイスラインをもっとはっきりさせたいとか、足をほっそりさせたいとか、目が大きくて二重に見えるような化粧をしようとか、とにかく社会に刷り込まれたこうあるべきという姿が結局は私の思い描くような「自分ウケ」にも反映されてしまっていて。

なので、結局雑誌などに「自分ウケ最高!」とか言われても、社会に押し付けられた「可愛い」とか「美しい」を追いかけてる私がいて、これって結局ルッキズムに負けてるじゃんって絶望します。「自分ウケ」なんて聞こえのいい言葉ですけど、私にとっては自分の中の自分に対する容姿コンプレックスを浮き彫りにさせて、かなり悩ませる呪いになったな、という面が大きかったです。

Source: 「ボディポジティブ」ムーブメントの光と闇。 | Vogue Japan

だからこそ、昨今叫ばれるようになったボディポジティブがもっと一般的な考えになるといいなと思います。結局、どれだけ「自分を好きになろう」とか「どんな体型でもあなたは素敵だよ」とか自分で自分に言ってあげても、どうしても社会に属している以上、他人の声は気になるし、他人に言われた心無い言葉で深く傷つくんですよね。なので、社会全体がボディポジティブの考え、というかどんな体型でも、どんな肌の色でも、どんな見た目でも、人をジャッジしないということを当たり前に思うようになるといいなと思います。(もちろん化粧やファッションを含めたスタイルに関しても!)そして、この新しい当たり前がこれからを生きる子どもたちの未来を輝かしく、そして美しいものにしてくれたらいいな、なんて、友達たちの出産報告インスタ投稿なんかを見て思うわけです。

 

まとめ

Source: Love Yourself Images - Free Download on Freepik

今回はルッキズムについてお話ししてきました。正直、イギリスに来てからはルッキズムについて悩まされる回数も減ったのですが、途中で書いたTwitterアカウントを見てからなんか吐き気するくらい辛くなってしまって。そしてこんな辛い思いを2度とはしたくないと思ったのと同時に、私そういえば昔もっと辛かったんだよな……と思って、過去の自分と現在の自分、そして未来の自分を救済する意味で、思っていることを言語化してみました。

私がここで述べたことが、もっと反ルッキズムの機運が高まって(それかまた別の考えが主流化して)、また何年かしたら「それはひどい差別だ!」と思われるかもしれないし、それとも私と同じ考えが一般化するかもわかりません。でも今はひとまず、私と同じくらい、そしてそれ以上にルッキズムによって苦しめられている人、そして誰かを傷つけてしまっている人に対して、「お互いがお互いを無闇に傷つけない世界を目指してみませんか」というメッセージが届くといいなと今は思っています。

 

過去に書いたボディポジティブについての記事はこちら

slhukss1.hatenablog.com

 

恋愛至上主義について書いた記事はこちら

slhukss1.hatenablog.com